最近「ロンバケ」こと「ロングバケーション」にハマっている。
おっとこっちじゃなかった(なんて小ネタが通じるのはアラフォー以上の音楽好きだけでしょーね笑)!
大瀧詠一さんが出した、邦楽史上に残る名作「Long Vacation」から「君は天然色」をぶち込んでみました。
大瀧さんの話だけで文章が溢れかえりそうになるのでここはあえて割愛しよう。そう、ハマっているのはドラマの方の「ロングバケーション」だ。
もちろんドラマとしてもすごく面白いし、ミュージシャン目線でも音を楽しめる素晴らしいドラマだ。なんといっても挿入歌のセンスが秀逸で、クラシックからR&B、ファンク寄りな音楽を織り交ぜながら90年代の「あの感じ」の空気を醸し出そうとしてくる。
あの気だるい感じは70年代でも80年代でも2000年代でもなく、90年代にしかない時代独特の雰囲気なのだ。一通り色々なものが出揃った後の時代、山を越え、バブルが弾け下り坂になりつつある時代。そんな時代だからか、かっちりしすぎず、それでもギラギラしたオーラが溢れる役者やアーティストが続々と出てきたのかもしれない。
加えて、何にびっくりしたかって、キムタクや竹野内豊といった(個人的に)絶対的ヒーローが20中盤で若々しいのだ。二人とも男の色気がプンプンと漂っていてかっこいい。道から外れた人たちの話なのに(おっと)、いやむしろそれだから「月曜の夜は街からOLが消える」なんて言われたほどの人気ドラマなのかもしれない。今と違って、「平均」とか「そこそこ」とか、そういったところへ落ち着こうとしない空気感だったのかもしれない。
それにしても、正直キムタク演じる瀬名が本当に自分と被ってしまう。・・・瀬名みたいにかっこいいとかじゃなく、あのドラマから見えてくる「優男の心情」なるものが自分の思考パターン、行動パターンと見事なまでに同じなのだ。笑
想っている人がいて、ちょちょっと行動に出てみるものの様子を伺いすぎて素っ気なくなって、そのタイミングじゃない!ってところで頑張ってみてずっこけたり。頑張るまでに腰が重くて、ようやく持ち上がった頃には相手の中で旬が過ぎていたり、噛み合わなかったり・・・
「瀬名さん、いい人だけど、いい人で優しいけど、いろんな人に優しくて、いろんな人ちょっとずつ傷つけてるんですよね。瀬名さんが涼子ちゃんけしかけなきゃ真二はまだ私のとこにいたかもしれないのに。」
いい人だから、優しいから、いろんなことを考えてしまうから、それゆえに傷つけたり疑われたりするのだろう。今年のテーマのひとつが「優しいってなんだ?」なのだが、相手に気を遣ってオブラートに包んだ物言いや遠回しな伝え方をしたり、遠慮したり心配してはっきりした態度を取れなくて、そういうところから生ずるモヤモヤした感じ、悶々とした感じ、、一般的に言う「優しい」というのはそういうものなのではないだろうか。
本来的なそれはむしろ厳しさや辛辣さから垣間見える思いやりの情念なのかもしれない。要は優しいというのは、むしろ「甘い」という意味合いに近いように思える。ロンバケの中のキムタクを見ているといちいち「甘い」。イケメンだから見ていて成り立っているものの、普通の人が同じような行動や言動を取ったら好きな人や人生の良いタイミングを手繰り寄せることが難しいだろう。
それに対して竹野内豊が演ずる、ヒロインの南の弟の真二はというとそこでそれが欲しい!というタイミングで強引に行動に出る。暑苦しいくらいワイルドな佇まいの竹野内がそういう役をしていて相乗効果が出ているようにも見えるが「男はかくあるべし」を地で行っている(今時そんな気質の人がどれだけいるかわからないが・・)。
いつもいつも色々な意味合いを込めて優しい優しいと言われる私はこの言葉がほとほと嫌いだ。普通に使われる「優しい」という言葉は「すごい」とか「ヤバい」と一緒で、中身がすっからかんの、取り繕うような表情に欠けた言葉だからだ。だから自分では極力優しいという言葉を誰かに使わないし、そう思った時は替わりに「ホント気遣い出来る!」とか「人の気持ちちゃんと考えてる!」などと言うようにしている。
いざアラサーになって昔のドラマを見てみると、ドラマの中で描かれる心情がまあー切実なものになっていて驚いてしまう。ツボは変化していき、今回は瀬名と自分の思考回路や感性があまりに近くてなかなか衝撃的だった。優しいだけじゃダメなんだ。そういうことを、ロンバケは教えてくれる。良いドラマや映画や小説は、自分のフェーズが変わって触れてみると違う表情を見せてくれる。そうする折に、ダメになってんなーとか、ちょっとは成長したなーとか、そんなことを思うのである。
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